誰かの活躍や幸せを聞いた時。
本当は、「すごいね。」「よかったね。」と言いたい。
でも、なぜか素直に言えず、
「でも、あの人ってこういうところあるよね。」
「実は昔はこうだったんだよ。」
そんなふうに、少し水を差すような言葉が出てしまう。
そんな経験はありませんか。
そして、その後で、
「なんであんなこと言ったんだろう。」
「別に言わなくてもよかったのに。」
「私って嫌な人なのかな。」
と、自分を責めてしまう。
でも私は、そんな時にその人自身を「性格が悪い」と決めつけることはしません。心理学ではこれを「ディスカウント(引き下げ行動)」と呼びますが、その言葉の奥には、本人も気づいていない気持ちが隠れていることがあるからです。
本当は相手を傷つけたいわけではない
誰かの成功や評価を、素直に喜べない瞬間。
それは、相手を嫌いだから起こるとは限りません。
その奥には、
「私も認められたかった。」
「本当は私だって頑張ってきた。」
「私のことも見てほしかった。」
そんな気持ちが隠れていることがあります。
人は、自分の中にある痛みに触れた時、自分を守るための反応が出ることがあります。その反応が、時には相手を下げる言葉として表れることがあるのです。
でも、本当に向き合っている相手は、目の前の人ではなく、その瞬間に感じた「自分の価値が揺らいだ感覚」なのかもしれません。
その一言は、自分を守るための防衛センサーかもしれない
私が色を通して人を理解するとき、大切にしていることがあります。
それは、「その行動には、その人なりの理由がある」という視点です。
誰かが評価された時。頭では「すごいな」と思っている。でも、心の奥でざわつく。そんなことがあります。
「でも、あの人にもこういうところがあるよね。」と言いたくなる。
そんな時、自分を守るための防衛センサーが働いていることがあります。
「このままだと、自分の価値が下がってしまうかもしれない。」
「自分だけ取り残される気がする。」
そんな不安から、自分と相手のバランスを取ろうとしているのです。
本当は、諦めた自分を守っているのかもしれない
誰かの輝きを見た時、苦しくなることがあります。それは、単純に相手が羨ましいからだけではありません。
もしかすると、その人を見ながら、自分の中にある別の気持ちに触れているのかもしれません。
「私も本当は、あんなふうになりたかった。」
「もっと違う選択をしていたら、違う人生だったのかもしれない。」
「本当は、まだ諦めたくなかった。」
そんな、自分でも気づかない後悔。
でも、過去の自分を見ることは勇気がいることです。だから人は時に、「でも、あの人にも欠点はある。」「そんなにすごい人じゃない。」と相手を見ることで、今の自分を守ろうとすることがあります。
それは、これまで一生懸命生きてきた自分を守るために必要だった反応なのかもしれません。
必要なのは、自分を責めることではなく、過去の自分を迎えに行くこと
「また言ってしまった。」
そう思った時、「私は性格が悪い。」と決めつけてしまうと、さらに苦しくなります。
必要なのは、自分を責めることではなく、「あの時の私は、何を守ろうとしていたんだろう。」と、自分の内側を見ることです。
本当は認めてほしかったのかもしれない。本当は悔しかったのかもしれない。本当は、もっと自分を大切にしてほしかったのかもしれない。
その気持ちに気づいてあげることで、少しずつ反応は変わっていきます。
誰かを下げることで守っていた自分から、「私は本当はどうしたかったのか。」を選べる自分へ。
閉じ込めていた可能性を、もう一度迎えに行くことができるのです。
色は、人を決めるものではなく理解するための手がかり
私は色で、「あなたはこういう人です。」と決めたいわけではありません。
人の中には、いろいろな側面があります。強く見える部分もあれば、傷つきやすい部分もある。前向きな部分もあれば、不安になる部分もある。
色を見ることで、「なぜ私はこう反応するんだろう。」「なぜこの場面だけ苦しくなるんだろう。」そんな自分への理解が深まることがあります。
人を理解することは、その行動をすべて肯定することではありません。でも、理由を理解することで、人は変わるための選択肢を持つことができます。
つい出てしまった言葉の奥にも、まだ助けを待っている自分がいるかもしれません。
もし、自分でも理解できない反応が出る時は、「私はダメな人間だ。」ではなく、「私の中の何かが、助けを求めているのかもしれない。」そんなふうに、自分を見るところから始めてみてください。
色は、その理解のための一つの手がかりになるのです。
